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<小坂社長 の独り言2005>
2005年
 4月18日
「ビジネスか、趣味か、理解しがたいが、骨材を追っかけ世界を歩いた・・・・よき時代のお話である」。 

1999年11月に骨材資源工学会より寄稿依頼された冒頭文である。



我々のお客様は、空港、ダム、高速道路などの工事現場に骨材や生コンを供給するユーザーさん。 
 
日本が世界に発信した、耐震、トンネル、橋などの土木技術は、もっと評価されるべきだ。



広州から深センの高速道路、15年前、簡素なテーブル、椅子にすわり、インスタントコーヒーをすすり、

政府のジープで砕石場へ。


上海は浦東開発区、沼地との戦い、日本のゼネコンよく頑張ったナー。(現在も)

今、上海、広州、深セン等では反日デモ、親身になって中国のため働いた一人として残念でならない。



 4月25日
7年前、タイのプーケットへ。 バンコクの砕石メーカーの紹介、 パイプラインの建設や砕石プラントの設置案件。

バンガーやグラビーへ、 なんと美しい海岸、海と空のいろ、時間がとまっている。


スマトラ沖の大地震によるツナミで、プーケットのパトンビーチやバンガーのカオラックは、大きな被害をうけた。

特にカオラックは、漁民たちがリゾート開発優先で失意の中、追い立てられる。



5年前から、N.G.O.でバンガー県にて熱帯果樹園を運営しているが、現場ではトラブル続きだ。

パトンの繁華街、バングラ通りも6時頃から歩行者天国になっているが、観光客はまだ戻っていない。



 5月6日           
18年前、オーストラリアへ、神戸製鋼所の研修セミナーで訪問先のひとつハマスレー鉱山へ。


飛行機から採掘現場の視察、墜落しないのかなー。 

学校、病院、商店はもちろん、滑走路まで所有鉄鉱石、マイニング会社のスケールの大きさビックリ。


壮大な大地に魅了され、クィーンズランド州に2キロ四方、約120万坪の牧場を10年前に購入した。

夢ビジネス、シルバーパラダイス創りのはじまりであったがーーー。


ブリスベーンから北へ400キロ、飛行機で40分、バンダバーグへ、車で30分、ローズデールの街。

老夫婦がリタイヤしたいと売りにだし、購入したのが日本人。

「日本人はテレビでみたが、初めて実物をみる」と言われ、コレッてジョークーーー。




        
 5月13日
18年前、秋のロンドンへ、砕石機械メーカーのパーカー社とコーンクラッシャーの輸入代理店商談。

通訳は友人。日本の商習慣を理解してもらえず、「アンフェアー」と言われ決裂。


しかし、翌年の春、東南アジアを回り来日。「一台購入すれば、マニュアルと東南アジアの代理店権を渡しますよ」

と言われ、やった、これで香港に売れるとガッツポーズーーー。

しかし、世の中、甘くはない。日本のメーカーからクレームがあり、没になった。苦やし涙ーー。


10年が過ぎ、8年前にイギリスのエクステック社と移動式選別機等の代理店契約を締結した。

日本にない素晴らしい機械や商品があればと思い世界を回っている。



 5月18日
ロンドンからパリへ。ユーロスターで3時間、ロンドンが紳士の街ならパリは大阪のオバチャンの街。

パリのオバチャンは元気で活発で親切で人情味がある。旅行者にはカタコトの英語で一生懸命教えてくれる。



フランスはワインの大地。夢ビジネス、ワイナリー創りの始まりであったがーーー。


13年前、ボルドー地区で小さなワイナリーが多数売りにだされた。1億円から3億円まで、

最盛期が過ぎオーナーもやる気をなくした物件である。

現地の会計事務所からの資料、市場調査や維持費。10社集めれば買収は可能と思った。

ワインファンドのような企画書であった。

しかし、世の中、甘くはない。メイン銀行の了解をえられず。没になった。



今、ワインの価格は上がりすぎ、10年前、保存状態のいいワインで、

ピーロートより1982年ものボルドーの、五大シャートー¥132,000−で購入。現在¥480,000で3.6倍。

1985年もの¥87,000−が¥270,000−で3.1倍。

ルパンの1985年もの¥40,000−が¥180,000−で4.5倍。



ワインのバブルで愛好家は、ホリエモン社長とお友達になるしかないーーーーー。




 5月23日 
大阪の老舗企業、イカリソースの会長と一富士の元社長のふたりは大阪青年会議所のOB。

詐欺の疑いで逮捕された。彼らに何があったのか。オーナー企業であり、お粗末で残念である。

5,000万の価値しかないプラントを7億で購入するリース会社もおかしい。プロならわかる。



20数年前、私は大阪支店長から本社に呼び戻された。社長から実情を知らされた。

不良債権が次々と発生していたのだ。リスク管理の甘さからか。オーナーとして責任をとらねばならぬ。


約3億円になった。中小金の副長さんから「小坂さん、なんという顔して歩いているの」と叱咤激励され、

メインバンクの女の子から「頑張ってくださいね」。そういえば銀行も3時以降裏から、こんにちわの日々。



妻から一言「4畳半でも健康でいればいいーー」の言葉に目がさめた。

亡父の大切にしていた山林を(会社所有)2億で、本社のあった新丸昌ビルを3億3,000万で売却した。

まだ足りず、丸昌ビルと自宅を売却しようとしたとき、銀行が「わかった支援する」と言ってくれた。



バブル期になり、売却できたと思うが、必死で頑張ってくれた役員や社員の皆さんに感謝したい。


顧問弁護士の朝沼先生に感謝したい。税理士の矢野先生。そして妻にも。




 6月 3日                       



6月1日より「クールビズ」、ノー上着、ノーネクタイの軽装運動が始まった。

9月までで当社も取り組んでいる。「太陽に向かって汗をかいている」我々のビジネス、

特に夏のプラントは熱く燃えている。


生産される砕石や砕砂はインフラ整備のもとのもと。もっと認知してもらいたい。



7年前、カンボジアへ、プノンペン空港の延長工事、一歩メイン道路をそれると砂ボコリだらけ。

空路で1時間、石の文化、アンコールワット。バリ島のウブドが神のおりる国なら、ここは、神のやどる国。 



ポルポト軍が最後まで抵抗し、カメラマンの一ノ瀬泰造が亡くなった地である。

平和がおとずれ開放され、現在はホテルラッシュ、元ポルポト幹部が統治している不思議さもあるが、

世の中うまくまとまるなら、それもよい。武器と言う暴力や略奪から得るところはない。


2度おとずれた。また行きたい。アンコールトムは王と神の都市、アンコールワットは神の神殿、

タプロームは樹木の精霊。午後のアンコールワット、西塔門からのながめは素晴らしい。

ボーとするだけで、なにかを感じとることができる。中央塔、第三回廊でも1時間は、ボーとしたい。


天空の楽園へ。


 
       
 6月22日 
今月は骨材業界の総会が続き、独り言も休憩してしまった。

4年前、スウェーデンへ。7年前にスウェーデンスティールの代理店になった。

ストックホルムから南へオクセルスンド工場視察。時間がゆっくりと流れる、

絵のような街並み、雑踏の言葉はない。


シャトーホテルでの一夜。細長い、長方形の屋形。夕食のあとオーナーが招待客を集め遊びに行く。

ヨチヨチ、フラフラしながら、ちょっと寒いな、サウナにでも行くのかなーー。


ナナナント(何んと)、1レーンのボーリング場。機械式ではなく人力である。

ボールは木をまるくしたもの、投げるグループとピンを立てるグループに分かれ、ワイワイ、ガヤガヤ、

ワイン、ビール、コニャクで、手元がくるう。童心にかえり、忘れられない一夜だった。



 7月11日
17年前、シンガポールへ。砕石機械の輸出先との打ち合わせに。

銀行の研修や社内旅行を含め10回訪問した。



資源のない国、淡路島の広さしかない。水もマレーシアから購入している国。

しかし、エキサイティング。活性化している。若者の目が、らんらんとしている。


今回の訪問でも、新しい街づくりを、日本も見習うべきだと思う。車の乗り入れ制限、公園づくり

木々が緑がいっぱい、道路や港でも環境を第一に優先している魅力ある国。

若年カップル、3DKで1000万円で入居できる。人口も増加、おおいにハッピーだ。



ホテルから一歩でれば、ショピングセンターやマーケットがある。食べたいものは回転寿司はもちろん、

世界の料理がある。300円もだせば腹いっぱいになる。果物もグー。7月、

ドリアンはもとより、ライチは、もっとグッド、バケットにいっぱい入って500円ほど。


南国の熱帯雨林の贅沢は完熟くだものツアーである。

いざーー、しゅーぱあーつーー。



 7月21日
熱帯雨林の贅沢は完熟くだものツアー、乾季もいいが、雨季がまたいい。

ドバァと豪雨のあと、パァと晴れる。日本ではありえない。


ベストシーズンで、うなった完熟くだもの。夢にあらわれる、くだもの。

          ホーチミンのマンゴー。

          コタキナバルのドリアン。

          シェムリアップのジャックフルーツ。

          シンガポールのライチ。

          小さい完熟バナナ。


炎暑で体調をこわす女の子が多い、現地の屋台、氷など生ものは食べない。

下痢のときココナツで水分補給する。下痢止め効果あり。


いざーー、しゅーぱあーつーー。




 8月3日
7月24日午後9時10分、インド洋北部でM7の地震があり、プーケットに津波警報が出された。

津波は観測されなかった。私はTG920、午後8時40分発バンコク経由で帰国したので、

地震については知らなかった。

日本人の観光客が極端に少ない、津波アレルギーになっている。



タイ人のパートナー、ハンチャイ氏が鉄板焼きの日本料理店、「れんが亭」のオーナーになった。

運悪く津波に襲われた。日本人客はこなくなり、欧米人が予約を入れ、来るぐらいとの事。


プーケットで頑張っている日本人は多い、地球ポカポカでも紹介された。


今回は8名の仲間と訪問、各々自由な時間を過ごし、夕食は一同に集まって、海鮮料理、鉄板焼き、

タイスキとビールを浴びるほど飲み、たまったストレスを解消した。



プーケットの観光大臣ではないが、いちおしの隠れ宿だ。




 8月19日
四国の早明浦ダム、利水容量が底を突き、発電用水を緊急放流する。ダムはムダといわれ続けられるが

あと1ヶ月。雨を待つしかない。



6年前、ペナン島へ、ダムの完成まじか、以前に砕石機械を輸出した。

マラッカ海峡の入り口にあり、15世紀は海賊たちの島、現在はマレーシア第2の都市ジョージタウンがある。

美しい島、緑豊かな島、昔の面影が残っている島、ビーチリゾートのバツー・フェリンギがある島。



この島で一番ビックリした事は、ダムではなく。ドリアン。ドリアンファーム。

左も右も前も後ろも見渡す限り、ドリアンの木ばかり。ドリアンが落ちるとドスと音がする、

動物が近づく前に人間が取る戦いである。


いろいろ種類があり、実の色もちがい、味も違い、象さんや、お猿さんの大好物だ。

日本で食べると変人と言われるが、現地では貴重なビタミン源、栄養価のある食べ物で産後の特効薬だ。



 9月28日
早明浦ダムも、貯水率100%になった。アメリカではハリケーンのカトリーナとリタが、

ニューオリンズとテキサス州を襲い、大きな被害をもたらした。



30年前、シカゴにあるカレッジへ、3ヶ月の語学研修に行った。社会人になり、こども2人を残し、

限られた時間の大切さを感じた。

アメリカでの学生生活、学食が素晴らしい、ビュフェ形式で、4種類のメイン、

ケーキにサラダ、ドリンクと、ないのはビールだけ。



M.B.A.を目指す4人の日本人と、目指さない私5人で、夜な夜な徒歩10分のバーへ。

最初の日は、端のテーブル、10日もすると中央のテーブルに陣取っていた。

なんせ毎日通い日本語でワイワイ、ガヤガヤ、授業は1クールを1ヶ月、1ヶ月すると各大学のM.B.A.へ、

企業から派遣された、エリート達なのである、私以外は。



ある時、二日酔いで授業をさぼり寝ていると、誰かが起きろと言う。

寮生活のつらさ、バカな日本人は目立つのである。先生が起こして来いと怒っていると言う。

美人の先生なのに、きついね。


どうも、我々の行動がバレているようだ。最高レベルの4人は、いいとして、小坂は許せんと言うわけ。

外出禁止令が出たとき。4人は必死でレベル8の合格を目指し頑張っていた。

もちろん合格された。


1クール、1ヶ月が過ぎ、あとの2ヶ月アメリカをバスで回りたいと先生に相談した。

「いい提案です、在籍のまま、アメリカを見てらっしゃい」と賛成してもらった。



 10月 1日
阪神が優勝した。関西人には、すばらしいプレゼントだ。


28日の続きです、すべて30年前のことですのでーー。

まずは、インディアナ州の親戚へ、インディアナポリス経由ブルーミングトンまでは飛行機で。

8人乗りの小型機で低空を飛ぶので、この飛行機、大丈夫かなと不安でいっぱいだった。



この地から、バスで東へ、カナダ側からナイアガラの滝を眺め、ボストンでエビとカニを食べ。

ハーバード大学の門をくぐり。ニューヨークでは銃声の音にビックリしたが、ミュージカルのシカゴも鑑賞できた。



南へ、ワシントンでリンカーン大統領に会い、マイアミでは老夫妻から食事をご馳走になり、

キーウェストでは、今月初めての日本人ウェルカムと言われ、ホテルは半額。



マイアミに戻り、ここから西への大移動になる。夜の移動で休憩地点では地元警察官がいて、

パスポートの提示をさせられた。

シカゴでは人種差別がひどいと思っていたが、南まで来ると明るい人が多く救われた



ニューオリンズ。ジャズの街、黒人の街、3日間ブルースを聴いた。

この奥深い音、ひびき、こえ、どこからくるのだろう。

遠いアフリカを思い出しているのだろうか。

27歳でジーンときた。日本を思いださせた。貧しさを感じさせないバイタリティーがあった。



現在、自然との戦いに敗れた人たちは、どこに住むのだろうか。

もとの場所に住むしか解決策はないのだろうか。

ジャズもいいが、もう1度、ニューオリンズでブルースを聴きたい。


 10月18日
小泉首相が靖国神社を参拝された。信念をもつ政治家は何人いるのだろうか。


私も含め団塊の世代は、学生運動に巻き込まれた。

日本をよりよき国にするため真剣に議論し合った。

官僚や政治家になった人、当初は日本のためにーーと思っていたが。

ながされて、腑抜けになった人が多いのではなかろうか。天下りという保証の引き換えに。



書棚から「だれも知らない日本国の裏帳簿」、石井こうき著。昨日、久しぶりに手にとった。

利権財政を徹底的に弾劾したもので、官僚国家の税金の流れのシステムが図式で解説してあり、

大変わかりやすい。2年前に買った本で、よくここまで書くと思っていた。


最近の著書はと思い検索すると、驚いてしまった。

2002年10月25日、石井議員、「民主党屈指の論客が刃(やいば)に倒れた」、

犯人は逮捕されたそうだが、なんとも納得できない思いだ。


ご冥福をお祈りしたい。



 11月29日
10月19日、弊社、元社長塩本高徳さんが92歳の天寿を全うされた。私の社長業の恩師。

義父、小坂吉夫が急死したため、経理や経営について教わった。ご冥福をお祈りしたい。


西村真吾議員が逮捕された。非は非として、あまりにもお粗末で有権者や横田めぐみさんが泣いている。

非常に残念だ。石井議員もそうだが、西村議員も徹底的にマークされているのは、百も承知しているはず。

声をあげる、真の政治家がいなくなる。



私も、以前、ある新聞社が、ある砕石業者を痛烈に批判し、

すべての砕石業者が悪者であるような書き方をした。

この業者は許可もとらず不法に採石しており行政の責任を追求せねばならなかった。

この事を、新聞社と記者を.実名入りで砕石新聞にて反論したが、親しい新聞記者から

「事務所に石を投げられるよ」と忠告され、以後書き方も、やわらかくなった。



高校、大学と7年間、放送部に籍を置いていた、メディアが学生にあたえる影響力の怖さを知った。

マスコミの責任は重大で、逆に民衆がマスコミを、正しく評価する目を、もたねばならないと思う。

マスコミに中立はありえない。右か左かハッキリせねばならぬ、所詮ビジネスなのだ。

日本を思う論客、登場を期待したい。



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